コウテイペンギンのパワプロブログ

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パワプロ2020 中尾孝義(1982中日) パワナンバー

 

新世代キャッチャー

 

 

選手名 中尾孝義(なかお・たかよし)

 

経歴 滝川高等学校専修大学プリンスホテル中日ドラゴンズ(1981①-1988)ー読売ジャイアンツ(1989-1992)ー西武ライオンズ(1992-1993)

 

1982年成績 .282(394-111)    18本 47打点 7盗塁2盗塁死 盗塁阻止率.429(56-42)    

MVP    ベストナイン ダイヤモンドグラブ賞*1

 

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選手紹介

スタイリッシュな細身で、ずんぐりした体型で鈍足という捕手の従来のイメージを一新したキャッチャー。俊足強肩と高い打撃力に加え、アグレッシブなプレーが持ち味。ツバのない丸いヘルメットの走りであったことからついた愛称は"一休さん"。

専大時代は東都大学リーグでプレー。4年の春季リーグで優勝し最高殊勲選手に選ばれ、日本選手権では準優勝。リーグのベストナインには4回選出された。同年の第7回日米大学野球では正捕手として全7試合に出場した。社会人時代にも久慈賞を獲得したり、チームを初の都市対抗に導くなど活躍した。

プロでも1年目から16年間正捕手を務めてきた木俣達彦とレギュラー争いをする。守備は粗削りな部分が多く、打撃でも木俣に敵わなかったものの、盗塁阻止や積極的な守備、走力をアピールし9月には正捕手の座を掴んだ。

2年目は開幕から扇の要を担い、強気のリードで投手陣を牽引。攻守に活躍を見せ、リーグ優勝に貢献し、セ・リーグ初の捕手のMVP。打撃や盗塁阻止率で他チームの捕手を圧倒し、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞も受賞し、捕手としてのタイトルを総なめした。西武との日本シリーズでは敗退したものの、全試合でスタメンマスクを被り、優秀選手賞を受賞した。

その後はハッスルプレーの代償でケガが重なり、正捕手の座を維持できない年が続いた。一方で1985年まで4年連続二桁ホームランをマークするなど活躍も見せた。1988年にはコーチと反りが合わず直訴して外野手に転向。

西本聖・加茂川重治とのトレードで1989年からは巨人でプレー。再び捕手としてレギュラーとなり、ベストナインゴールデングラブカムバック賞を受賞した。また、斎藤雅樹の一本立ちにも大きく貢献した。1990年以降はケガが重なり、1992年に大久保博元とのトレードで西武に移籍。復活とはならず、1993年に戦力外通告を受け引退。

引退後はバッテリーや打撃のコーチ、スカウト、高校野球の監督などを務めた。スカウトとしては原口文仁や岩崎優の入団に尽力した。

 

査定について

打撃

チャンスE    得点圏.254

逆境○ 映像を見てのイメージ。チャンスEの補填の意味も込めて

 

守備

捕球F37 捕逸、失策が多い

キャッチャーC

Bと迷ったがチーム防御率がそこまで良いわけではないので。

 

 

コウテイペンギンの独り言

俊足や積極的なプレーで捕手のイメージを変えましたが、その後も似たタイプの選手はあまり現れていないと思います。1984年のオールスターでは江川卓の8連続奪三振をアシストしました。中日で特に長い間正捕手を担ったとされる4名*2の中で一番好きです。