いてまえ打線のムードメーカー
選手名 村上 嵩幸[村上 隆行](むらかみ・たかゆき)
経歴 大牟田高-(大阪)近鉄(1984③-2000)-西武(2001)-大阪ゴールドビリケーンズ (2010)
1992年成績 .250(388-97) 20本 59打点 15盗塁5死 OPS.796
選手紹介
リストを効かせ長打を放つ打撃と、躍動感溢れる守備で魅せたいてまえ打線のムードメーカー。三振の多さや勝負強さも特徴。中村紀洋の義兄でもある。
高卒でプロ入りしたが、2年目にして遊撃のレギュラーに定着。遊撃手に挑戦したのはプロ入り後でのことだった。プレーに荒々しさはあったものの、86年には22本塁打を放つなど強打のショートとして活躍。87年オフに外野手転向。一、三塁手も含めて起用されたが、好調時に限って故障に見舞われ、安定した出場機会を得られずにいた。
登録名を「村上隆行」から「村上嵩幸」に変更した92年は、6年ぶりに規定打席に到達。センターのレギュラーの座を掴み、攻守に躍動した。
それ以降は再び故障に苦しみ、出場機会も徐々に減少。01年に引退すると、解説者や関西独立リーグの監督を務めた。19年には中日の打撃コーチとして19年振りにNPB復帰。22年からはソフトバンク一軍打撃コーチに就任している。
査定について
チャンスB 得点圏打率.301
プルヒッター 本塁打方向 左/中/右 16/2/2
内野安打 右打者ながら併殺4と非常に少ない
積極打法 15の三球三振はブライアントに次ぐリーグ2位の多さ
コウテイペンギンの独り言
たまには与田ドラゴンズの首脳陣をつくろうの続きを。
21歳、ショートで22本塁打の86年を作成したかったのですが、プロ野球全記録がないなど資料不足で断念しました。過程が似ている紅林弘太郎には、村上を超えるような活躍に期待したいです。