夢幻の快速球
選手名 中里 篤史(なかざと・あつし)
経歴 春日部共栄高-中日(2001-2009)-巨人(2010-2011)
2001年成績 2登板2先発 0勝1敗 9投球回 防御率6.00
選手紹介
怪我に泣き才能を存分に発揮することは出来なかったが、プロ野球関係者やファンから今なお語り継がれる伝説の右腕。しなやかなフォームから放たれるストレートは手元で伸び上がり、打者を驚愕させた。野球センスが抜群で、打撃や走塁にも光る才能があった。その打撃センスは、リハビリ時にスカウトの中田宗男が野手転向を打診したほど。
高校3年夏の決勝では、浦和学園高・坂元弥太郎と延長10回を投げ合うもサヨナラ負け。甲子園出場はならなかったが、“関東三羽烏”と称された。
ドラフト1位で中日に入団。膝の故障もあり慎重に調整を続け、4月末に実戦デビューすると20回無失点を達成。6月末以降は疲れからか調子を落とすも、フレッシュオールスターでは打者11人を相手に被安打1、3奪三振で無失点の好投。37球中32球を占めたストレートが冴え渡った。
9月16日の巨人戦で一軍デビュー。高橋由伸や松井秀喜といった強打者達をストレートで押していき、5回1失点。未来の大エース誕生を予感させた。
しかし、ここからは苦難の連続だった。2年目の春季キャンプ中、宿舎の階段から転倒しそうになった際に負った右肩の大怪我は投手生命を脅かした。
リハビリ中にも故障が重なり、一軍に復帰出来たのは05年。この年、リリーフでプロ初勝利を挙げた。06年は自己最多の13登板。日本シリーズでは引退するSHINJOから三振を奪った。
07年にはバランスボールから落下し左肘を骨折。満身創痍の身体では才能を発揮できず、移籍した巨人で引退。怪我を負う前の球質が戻ることはなく、プロ通算2勝での決断となった。引退後は巨人でスコアラーを務める。
中里が引退した後にプロ入りした石川歩、森博人、斉藤優汰らが憧れの選手として彼の名前を挙げている。
査定について
対ピンチE 得点圏被打率.389(18-7)
クイックF+対ランナー クイックとセットポジション時の投球が課題だった。2戦目の阪神戦はこの課題により崩れ、「セットポジションになると、振りかぶったときよりどうしてもバランスが崩れてしまった」とコメントした
回復E 1年目はファームで疲労から調子を落とした点、星野監督が慎重に調整させた点などから
チャンスC 得点圏打率.667(3-2)
コウテイペンギンの独り言
いまなお語り継がれる悲運の天才です。近年ではYouTube最強投手とも。カメハさんのところから情報をいただきました。ありがとうございます。