悲運の豪腕
選手名 洗平 竜也(あらいだい・たつや)
①パワター
②経歴 光星学院高-東北福祉大-中日ドラゴンズ (2001②[逆指名]-2003)-硬式野球クラブ 東海REX
③2002年成績 1軍登板なし
④選手紹介
ややサイド気味のフォームから繰り出す、球威あるストレートとキレのあるスライダーが持ち味のサウスポー。一卵性双生児の兄で、弟・隼人も社会人野球までプレーした。
高校では1年夏からエース。夏の甲子園大会の地区予選では3年連続で決勝戦敗退をしている"悲運のエース”としても知られる。
大学では横浜に逆指名で入団した吉見祐治と左の2枚看板を形成。後に社会人を経てプロ入りする歌藤達夫とも同期だった。
逆指名でプロ入りし、ルーキーイヤーのキャンプは一軍スタート。しかし、ここで大きく歯車が狂う。極度の緊張からイップスに陥り、隣のレーンのブルペンキャッチャーに投げてしまうまで状態は悪化。キャンプ中盤に二軍へと回り、シーズンではウエスタンで25試合に登板した。
翌2002年も制球力の改善には至らず。それでも、ウエスタンでは8月中旬まで防御率2点台をキープするなどポテンシャルの高さを見せた。だが終盤に打ち込まれ、成績は前年からやや良化するに留まった。
2003年も結果を残せず、戦力外に。一軍の舞台で投げることは出来ぬままプロ野球を去ることとなった。2004年からは社会人野球でプレーし、日本選手権でも登板。2007年の引退後は会社員に。長男の歩人、次男の比呂は共に八戸学院光星高で投手としてプレーし、父が辿り着けなかった甲子園のマウンドにも上がった。現在歩人は國學院大に在籍し、比呂は今年のドラフト上位候補にリストアップされている。
⑤選手画像
⑥査定について
◇基本的に変化球はスライダーとされるも、江川本ではカーブと記述:スラーブを採用
◯初速と終速が変わらない直球をスカウトが評価:ノビB
◯「球持ちが良いフォーム」という今中評:球持ち
△イップスにまつわるエピソード+大量失点がしばしばあり2軍成績にムラ:打たれ強さF、乱調、調子極端
⑦編集後記
”洗平”は日本に約40人しかいないとされるレア苗字。パワプロで音声が登録される日も近そうです。
査定のポイントはコントロール値だと思います。デフォルトの最小値はオリックス・小野泰己のG15(+四球)。小野投手のウエスタン与四球率 4.65から考えるともう少し低くても良いかなとも。