クラブチーム出身の制球派右腕
経歴 栃木県立鹿沼商工高等学校ー全足利クラブ
ヤクルトスワローズ(1993⑦-1997)ーオリックス・ブルーウェーブ(1997-2004)ー東北楽天ゴールデンイーグルス(2005-2008)
2001年成績 26登板(26先発) 10勝7敗 防御率3.62 無四球完投3 27被本塁打 WHIP1.11
選手紹介
クラブチームからヤクルト入りし、移籍したオリックスブルーウェーブと楽天で活躍した右腕。コントロールが良く、四球が少ない。また、多種多様の変化球を投げる器用な面も持ち合わせる。朴訥な人柄でも知られる。
アマチュア時代は足利市役所職員として務める傍ら、実力派クラブチーム・全足利クラブに所属。補強選手として都市対抗野球に出場し、クラブチーム初のドラフト指名を勝ち取った。
ヤクルト時代は芽が出ず、97年途中に馬場敏史・岩崎久則とのトレードで広永益隆とともにオリックスへ移籍。
オリックスでは仰木彬監督に見出され出場機会を増やす。99年は主にリリーフとして48試合に登板、5勝2敗11セーブ、防御率2.17の成績を挙げた。2000年も好成績で、オールスターゲームにも出場した。
01年は先発に転向し挑んだシーズン。ローテーションに定着し、規定投球回に到達。自身初の二桁勝利を挙げた。非常に打高だったパ*1で残した防御率3.62は、リーグ4位。制球力が冴え渡り、与四球率は1.43とかなりの高水準。4完投をし、そのうち3試合が無四球でリーグトップだった。反面、両リーグ最多タイの27被本塁打を浴びるなど、一発病の一面もあった。この年に加藤伸一と共にオリックス・ブルーウェーブ最後の2桁勝利を挙げた。
02年は7勝も、その年以降は調子を落としてしまった。04年オフには球界再編があり、分配ドラフトで楽天に移籍。05年も不調に終わる。戦力外通告を受けたが、出場したトライアウトが新監督の野村克也の目に留まり、異例の再契約を勝ち取る。
迎えた06年は野村再生工場のもとで見事に復活。中継ぎ、抑えで58試合に登板。敬遠を除いた与四球は3と圧倒的なコントロールを武器に、6勝7敗4セーブ15ホールド、防御率2.18と大車輪の活躍を見せた。07年は39試合の登板に留まり、08年も若手の台頭があり出場機会を掴めず、現役引退。09年から現在まで、オリックスの打撃投手を務める。
査定について
対ピンチB 得点圏被打率.206 通算被打率.253
打たれ強さE 全登板成績(投球回-自責点-1,2回失点)*2
3月5-3-3
4月7.1-2-0 6-2-0 8-2-0 9-0-0
5月6-2-1 4.1-3-0 8-0-0 7.2-2-0
6月6.2-1-0 7.2-2-1 7.2-2-0 6-5-0
7月 9-0-0 5-3-1 4.2-5-0 8-1-0
8月7.1-2-0 5.1-1-0 3.0-6-0 6.0-0-0
9月2.1-5-4 6.1-2-0 5.1-4-0 7.1-4-2
10月5-0-0
序盤のノックアウトがあったりムラがあるかなと
軽い球 被本塁打率1.48。
一発もつけようか迷った。この年は打高傾向にあり、全体的に被本塁打が多かったため*3軽い球のみに。一発ではなく軽い球にしたのは、キャリアを通して被本塁打が多い傾向にあったため
コウテイペンギンの独り言
中継ぎでの印象が強かったですが、先発でもかなりの結果を残しています。打高の気があるので若干強めにしました。やっぱりコントロール型の選手は良いですね。