星野竜・強肩強打のリードオフマン
選手名 彦野 利勝(ひこの・としかつ)
経歴 愛知高‐中日(1983⑤-1998)
1989年成績 .275(454-125) 26本 59打点 10盗塁10死 OPS.885 ベストナイン ゴールデングラブ賞
選手紹介
長打を放つパンチ力と、強肩を活かした守備が売りの外野手。若手時代は強打の1番打者、晩年は勝負強い代打として活躍。プロ入り後に野手に転向。強肩が成す鋭い送球はファンを魅了し、ここぞで放つ一打はチームを勝利に導いた。黄色い声援も大きい人気選手でもあった。87年にレギュラーに定着し、88年には優勝に貢献した。
89年はキャリアハイの成績。監督推薦で出場したオールスターゲームの第2戦では、本塁打とチャンスをつくる安打を放ちMVPに。出生地である金沢で開催された試合では2本塁打の活躍。序盤は不振だったが中盤戦に調子を上げ、ベストナイン、GG賞に輝いた。また、リーグトップの83得点はチャンスメイクの証左といえよう。
90年は打撃成績は伸び悩んだものの、守備で躍動し3年連続となるGG賞を受賞。91年は序盤から好調で3割越えの打率をキープしていた。しかし、6月18日大洋戦でサヨナラ本塁打を放ち一塁ベースを回った際に転倒。右膝の靱帯断裂で長期離脱となった。本塁打後の代走がホームインしたのは史上2度目の珍事であった。
94年にレギュラー再定着。4年ぶりに規定打席に到達し、自己最高となる打率.284を記録。10.8決戦でも2安打を放つなどシーズン通して活躍し、カムバック賞を受賞した。翌年以降は代打の切り札となり、勝負強さを発揮。98年に引退後は名古屋で解説者に。第二次高木政権では打撃コーチも務めた。
査定について
チャンスF 得点圏打率.207
盗塁F+積極盗塁 盗塁成功率50%、企図数は少なくならないように
送球C 捕殺は6でそこまで多くないためBにはせず
プルヒッター 本塁打方向 左 20 中 2 右 4
レーザービーム 低く鋭い送球が持ち味
ラインドライブ 放物線を描くのでななく、ライナー系の打球をナゴヤ球場の外野前段に入れることが多かったと思われる。鋭い打球という表記も
決勝打 イメージ査定。得点圏打率こそ低いが、勝負強さやここぞの場面で打つというイメージを再現したかった。勝利打点は6
チームプレイ〇 1番起用ながら15犠打
粘り打ち+選球眼+強振多用+慎重打法
しつこく粘っこい打撃も彦野の持ち味。しかし89年は「振り回し気味になることが多く、クリーンナップのような気持ちでプレーしていた」という。インタビューで「三振と凡打は一緒だ」と発言すると、星野監督に「三振は何も起きないが、凡打は前に飛ぶこと」と指導され、バッティングが変わっていった
振り回し気味になっていた→強振多用、慎重打法
出塁率.379はリーグ2位と高水準→選球眼
粘り打ちは迷ったが、彦野らしさを出したかったので採用
猛打賞 5回、マルチ弾 2回
本塁打 対右投手 22本 対左投手 4本 (左投手との対戦自体が少ない印象)
内野安打 9本 内野安打率 7.2%
初回先頭打者弾 5本
球場別本塁打 ナゴヤ 10 神宮 5 東京D 3 甲子園(ラッキーゾーン有) 3 石川県立 2 広島市民 1 横浜 1 平和台 1
月別打率,本塁打
4月.226(53-12),2本
5月.247(57-14),4本
6月.321(78-25),5本
7月.321(78-25),6本
8月.250(84-21),4本
9月.155(58-9),2本
10月.413(46-19),2本
月別成績にやや差があるが、猛打賞が少ないなど日ごとのムラが少ないので調子極端は採用せず
コウテイペンギンの独り言
自身が運営に携わる焼鳥とりしげはバンテリンドーム2F、センター側に店を構える。看板メニューは「がぶりもも焼き 塩味」。某番組の球場飯グランプリで見事1位を獲得し、球場飯の評判が芳しくないナゴヤドームの希望となっている。
閑話休題。データが少なくて査定が難しかったです。更なる高みを目指すには、週刊ベースボールのバックナンバーや古本、スコアシートを漁るしかないですが厳しいものがあります。スカウティングレポートコーナーはカメハさんのアイディアを頂きました。せっかく集めたデータは自慢&共有しよう!
*1:手動算出したものが含まれるため、誤りがあるかも