影のMVP
選手名 関川浩一(せきかわ・こういち)
経歴 桐蔭学園高等学校ー駒澤大学ー阪神タイガース(1991②-1997)ー中日ドラゴンズ(1998-2004)ー東北楽天ゴールデンイーグルス(2005-2007)
1999年成績 .330(522-172)[リーグ2位] 4本 60打点 20盗塁(11盗塁死) ベストナイン
選手紹介
三拍子揃ったガッツマン。ヒゲと一塁への強烈なヘッドスライディングが代名詞。1999年はMVPこそ19勝をあげたエース・野口茂樹に譲ったが、"影のMVP"と呼ばれる活躍でチームを優勝に導いた。
シニア時代には巨人・篠塚和典に憧れ左打ちに転向。高校時代には1年夏に外野手兼捕手で甲子園出場。大学時代には捕手として東都大学リーグベストナインに2度選出され、青学大・奈良原浩と首位打者争いもした。
阪神時代は捕手をメインとして外野手、一塁手としても出場。5年目の1995年は捕手としてのチーム最多試合に出場し、初の規定打席に到達。打率.295、12盗塁をマークした。1996年と1997年は規定打席には届かなかったものの3割をマークした。
1997年オフに大豊泰昭、矢野輝弘とのトレードで久慈照嘉と共に中日に移籍。以降は本人の強い意思もあり外野に専念した。
移籍1年目の1998年からレギュラーに定着し、3割は逃したが、規定打席に到達した。
前年のV逸の悔しさをぶつけて挑んだ1999年は多くの項目でキャリアハイを記録。走攻守でチームを牽引し、リーグ優勝へと導いた。1番だけでなく3番でも起用されるなど打撃も非常に勝負強かった。しかし日本シリーズでは、初戦に工藤公康に狙い球を待つ時の癖を見破られパニックに陥り、打率.095に終わってしまった。
その影響か、翌年以降は成績が大きく下降してしまった。それでも2003年は107試合で打率.316を記録し、意地を見せた。
2004年オフに発足したての楽天に移籍し、2005年の開幕戦は1番・レフトでスタメン出場。新球団一人目の打者になった。この年、通算1000本安打を達成した。楽天時代はそれなりに出場したものの、故障を抱えていたこともあり目立った結果を残すことは出来なかった。2007年限りで引退。コーチを楽天、韓国プロ野球、阪神で務め、現在はソフトバンクの三軍打撃兼外野守備走塁を担当している。
査定について
青竹龍尾(はるまき)さんのものをかなり参考にさせていただきました。(査定が完璧でどうしても近寄ってしまいました。)ありがとうございます。
打撃
チャンスB 満塁男
ランナーなし 打率.308(299-92) 1本
得点圏 打率.369(122-45) 2本
満塁 打率.444(9-4)
流し打ち 内野安打〇
流し打ち方向 42安打 1本
センター方向 53安打
引っ張り方向 42安打 1本
内野 28安打 (リーグ1位)
固め打ち 猛打賞15回
粘り打ち 2ストライク打率.268 (リーグ4位)
サヨナラ男 8月17日巨人戦に槙原寛己からサヨナラ打。7月30日ヤクルト戦ではサヨナラ犠飛
走塁
かく乱 塁に出ると得点につながった
回復C この年のみ全試合出場
人気者 この頃、ガッツ溢れるプレーでチーム1の人気を誇っていた。オールスターにも選出。
コウテイペンギンの独り言
リアルタイムで見たことはないものの、とても好きな選手なので作りました。特にこの1999年の活躍は記録にも多くの人の記憶にも残っているはずです。全力プレーの熱い選手はやっぱりいいですね。