2つの年度を作ったので前後編に分けて紹介します。今回は2008年バージョン。選手紹介もその年までです。
燕のタフネス便利屋
選手名 押本健彦(おしもと・たけひこ)
2008年成績 67登板(0先発) 72.2投球回 5勝6敗27ホールド 防御率3.34
経歴 中央学院高等学校ー日産自動車ー北海道日本ハムファイターズ (2003④ - 2007)ー東京ヤクルトスワローズ (2008 - 2014)
選手紹介
日本ハムからヤクルトへと移籍し、力強い直球やコーナーに丁寧に制球された変化球を投げ、リリーフの一角として活躍した右腕。
中央学院高時代は、千葉県内で3年春に優勝するなどそれなりの結果を残したが全国的には無名だった。頭角を表したのは日産自動車時代。ストレートの精度や制球力が向上し、第30回日本選手権優勝に大きく貢献した。その年のドラフト4位で日本ハムに入団。
ルーキーイヤーの2004年は2軍でキャンプを送ったものの一軍投手陣の不調や2軍戦の好投があり、4月9日に一軍初登板。3登板目の4月16日の対ロッテ戦で初先発、5回を1失点にまとめプロ初勝利。それ以降は先発ローテーションに定着。中継ぎ陣の不調で勝ち星が伸びず、二軍落ちも経験したが96.2回を投げて7勝8敗と上々の成績を残した。
翌2005年は先発の一角として期待されるも不調で、1勝も出来なかった。
2006年の7月半ばから中継ぎとして一軍に定着。ロングリリーフや勝ちパターンに繋げる役割を担い、最終的には25試合に投げ防御率1.50と安定感を発揮し、チームの優勝に貢献した。
2007年は序盤不調で防御率も良くなかったが、10試合連続無失点を記録し、イニング数を上回る奪三振を記録するなど力強さを見せた。
2008年1月に前年まで日本ハムのGMを務め、その年からヤクルトの監督に就任する高田繁に引き抜かれる形で、藤井秀悟、坂元弥太郎、三木肇と交換で川島慶三、橋本義隆と共にヤクルトへ移籍。
その2008年シーズンは開幕一軍の座を掴み、主にセットアッパーとして活躍。6月までは防御率1点台をマークし、抜群の安定感を見せた。7月から疲労からか徐々に打たれることが多くなり、終盤は打たれたり抑えたりを繰り返してしまったものの、多くのイニングを投げ、自己最多の登板数とホールドをマークするなどタフネスさを発揮、高田監督の期待に応えた。
今回はここまで。
査定について
対左打者B 対右 被打率.299 6本 対左 被打率.229 2本
回復C Bにしたいところだが、後半は流石に回復がおいついてない感じがする
コウテイペンギンの独り言
派手な活躍は出来ないけれどチームを支える縁の下の力持ち的な好選手ですね。入場曲をアニソンや特撮の主題歌にするなどオタクとしても知られています。日ハム時代はチームメイトから「ロボコップ」と呼ばれていたとか。
次回予告
パワーアップ・ロボコップ
よろしくな!!