孤高の守護神
経歴 フロリダサザン大-DET(1997)-TAM(1998-1999)-中日(2000-2003)-横浜(2003-2004)
2002年成績 47登板(0先発) 47.1投球回 1勝1敗34セーブ35SP 防御率1.52
選手紹介
150キロ超のストレートと安定した制球力で打者を抑え込む助っ人クローザー。宣銅烈の後釜として安定したはたらきをし、2000年には36SP*1で最優秀救護投手に輝いた。これは1年目の外国人初の快挙だった。翌年も29セーブを挙げた。
2002年には直球の球威低下が見られ、三振が奪えなくなってきた。度々ピンチを招きながらも、瀬戸際で踏ん張るピッチングでキャリアハイの防御率をマーク。35SPで2度目の最優秀救護投手になった。
03年は史上最速で通算100セーブを挙げるも、抑えに拘ったがために首脳陣と対立し、シーズン途中で横浜にウェーバー移籍。横浜でも一定の活躍を見せた。しかし04年に佐々木主浩が復帰すると再び起用法が定まらず、右肘手術で帰国したまま退団。メジャー復帰を目指すも叶わず、06年に引退した。
査定について
対ピンチA 得点圏被打率.100(40-4) 0本 シーズン被打率.234(171-40) 3本
要所 まさに。満塁にも7-0と強かった*2
対ランナー 対ランナー時*3被打率.394(33-13) 1本
コウテイペンギンの独り言
クイック時の投球を含めてクイックに難があった印象。抑えに固執したエピソードから中継ぎ適正は付けませんでした。拘りが強く、バンチとは不仲だったなど難もありましたが、ドラゴンズ史に残る名助っ人だと思います。